平成28年度以前の卒業論文題目

平成13年度から平成28年度までの卒業論文(一部)

平成28年度

  • 曲線と円によってもたらされる《小椅子の聖母》の「親しみやすさ」:円形画におけるラファエロの画面構成力
  • 古代ギリシア教父と笑い:キリスト者に笑いは禁じられていたか
  • 断絶する〈他者理解〉と謙譲による接近:想像力におけるエゴイズム緩和の可能性
  • 宮沢賢治の「ほんたうのさいはひ」について:『銀河鉄道の夜』をめぐって
  • ゲシュテルに対するテクネーの開蔵について:ハイデガー『技術への問い』から考察する

平成27年度

  • 捕囚体験者におけるアブラハム物語の神顕現の意味と役割
  • 道徳的に正しいこととは何か:功利主義とアンパンマンに関する一考察
  • 東洋的身体観の再考:湯浅泰雄の身体論を通して
  • アメリカ映画の社会性:『アナと雪の女王』に見る女性像のジェンダー的分析

平成26年度

  • デジタル時代における音楽と人々の関り方
  • 「反ユダヤ主義」の罪と現在:ナチス支配下におけるドイツ福音主義教会の対応を通して
  • 川端康成の美意識
  • 澁澤榮一の道徳観について:『論語』解釈を中心に
  • 翻訳の可能性:異文化の発見と自文化の再認識
  • ジョン・ケージの音楽における音と時間の解放:『4分33秒』における沈黙の聴取
  • メルロ=ポンティのコギトにおける身体と感覚の重視について:デカルトのコギトとの比較から

平成25年度

  • ルカ文書における初期キリスト教共同体について:聖霊と共にある信従者たち
  • フランス・ロココ絵画における「幻想」の真実:ヴァトーとフラゴナールが愛した悦楽のヴェール
  • 前田青邨における西洋と日本
  • 河井寛次郎の美の思想:「美が追いかける世界」
  • 天使の存在の可能性について:トマス・アクィナスの『神学大全』から考える
  • 何故なにも無いのではなくなにかが在るのだろうか:ライプニッツの思想から見る自己存在とその理由
  • 「過去」はどこにあるのか:大森荘蔵と中島義道の時間論

平成24年度

  • 『エウパリノス』にみる建築の意義:秩序と混沌の間の絶えざる意志的揺らぎ
  • プラトンの民主制に対する危機感について:『国家』の国制論を中心に
  • 今西錦司の「自然学」に関する一考察:ゲーテの自然学との親和性を考慮して
  • 貧困と援助:なぜウガンダは貧困から抜け出せないのか
  • マタイによる福音書におけるペトロのキャラクター分析
  • 内村鑑三の無教会思想:結婚式の意味について
  • 舞について:『古事記』天石屋神話
  • 九鬼周造『「いき」の構造』における女性の「いき」を考える

平成23年度

  • ボッティチェッリ『春(プリマヴェーラ)』における思想と価値
  • 聖書におけるマグダラのマリア像の変遷:福音書記者の女性観を通して
  • ヤスパース『真理について』における「包括者の分節化」
  • ニーチェの遠近法主義:その相対主義的構造とニーチェの真理観に関する一考察
  • カント『判断力批判』における「目的論的判断力」について
  • ショーペンハウアー道徳論の考察:カント道徳論との比較から見る道徳的行為
  • サルトルの文学論における、アンガジュマンとしての創作

平成22年度

  • ジーザス・クライスト=スーパースター:そのユダ像とメッセージ
  • 発展に関する一考察:アマルティア・センの哲学を通して
  • 兼好法師の無常の美意識について:『徒然草』「花はさかりに」の段を中心に
  • フランク・ロイド・ライトの建築思想の考察:グッゲンハイム美術館における「螺旋」の概念
  • パラダイム理論:科学はいかに発展するのか
  • 唯一無二の実体としての世界:『エチカ』における〈神即自然〉と『ブリハッドアーラニヤカ・ウパニシャッド』における〈梵我一如〉の比較研究
  • ルネサンスの画家フラ・アンジェリコが愛した受胎告知図
  • ショパンの音楽:後期の作品を中心に
  • 名前の喪失と自己喪失の相関性:『千と千尋の神隠し』をめぐって
  • 『悲しみの歌』で遠藤周作が描いた世界を探る

平成21年度

  • 美術館の神聖性と美術館ブランド
  • 日本的空間デザイン:茶室とカフェに見る思想
  • 水木しげるのメッセージ:妖怪と風刺漫画より
  • スピノザにおける神認識と隣人愛の実践の一致
  • ワーグナーとショーペンハウアー:『トリスタンとイゾルデ』から見る「性愛」の概念
  • 『平家物語』の無常感:運命の捉え方をめぐって
  • イラク戦争における政治と宗教の関係性

平成20年度

  • シモーヌ・ヴェイユにおける公案としてのスピノザ哲学
  • マニエリスムの様式と技法:マニエリストが求めた理想の美に関する一考察
  • 資本主義社会における現代アートの意義
  • トールキンの創作をめぐる一考察:いかにして物語は真実に近づき得るのか

平成19年度

  • 『バガヴァット・ギータ―』について
  • 日本人の「桜」観:「咲く」と「散る」の意味を通じて
  • 医療が目指すべき最期:安楽死・尊厳死問題 日本の現状と課題
  • 菱田春草筆『落葉』の研究:画家と共に歩む
  • モネにおける浮世絵の影響:水面表現における反射映像について
  • マグダラのマリアの図像学的研究
  • 初期キリスト教のユダヤ的慣習をめぐる論争
  • 遊女と巫女:芸能と神性の担い手として
  • ショーペンハウアーの芸術論と天才論:特に音楽論をめぐって

平成18年度

  • 中世スペインにおける〈マラーノ〉のシンクレティズムとその射程
  • 宝塚歌劇に関する一考察:『エリザベート』は何故人気作品となったのか
  • 実践的身体論としての舞台芸術:「生ける身体」の活動の場として
  • 現代のインスタレーションに関する一考察:フェリックス・ゴンザレス=トレス『無題(気休めの薬)』を通して
  • 放送倫理:宮崎勤事件を題材にして

平成17年度

  • 和辻倫理学における人間概念の意義
  • 存在のための絆
  • 現代における美術鑑賞の意義
  • 医療における自己決定と信頼関係:新たなインフォームド・コンセントの提案
  • 遠藤周作における日本人とキリスト教との距離:「白い人」「黄色い人」をもとに
  • ハイデガーにおける現存在と死への可能性
  • マーク・ロスコ:古典期の作品についての考察
  • メルロ・ポンティの身体論

平成16年度

  • プラトンのエロース論に関する一考察
  • ニーチェ『悲劇の誕生』に於けるペシミズムの克服としての二芸術衝動
  • 三木清における芸術と技術の問題
  • 『善の研究』における宗教観念について
  • アランの幸福論
  • ゲーテの自然観と芸術観:その根底にある「調和」を求めて
  • アガペーの創造性について
  • 不完全な幸福について:トマス・アクィナスの幸福論における一考察
  • レンブラントと「自己演出」:自画像制作の意味についての考察
  • ペシミストはいかにしてナルシストになるのか:ラ・ロシュフーコーの思想にみる人間観
  • ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』における宗教観
  • 武士の「誉」について
  • 「空」について:龍樹の『中論』をもとに
  • 幸福と他者:ラッセルの『幸福論』の一考察
  • ピアノ演奏の藝術性:音楽作品の演奏にみる音楽共同態の生成について
  • 荻生徂徠の「仁」について:その独自性の考察
  • ロ短調ミサ曲の存在意義
  • フレスコ技法の必然性:彫刻家ミケランジェロの「アダムの創造」と「最後の審判」

平成15年度

  • 信仰とそのアイデンティティの根拠
  • フランス「王立絵画・彫刻アカデミーの成立」についての研究:その歴史的経緯と思想的背景
  • 場所論を巡る左右田喜一郎と西田幾多郎による論争
  • アガペーとエロースの対比的研究:A・二ーグレン『アガペーとエロース』から
  • 「あなた」が脳死になったら:二人称の視点からの考察
  • 他者認識としての擬人化
  • 音楽の宗教改革:マルティン・ルターのコラール
  • アリストテレスにおける感情と説得
  • 九鬼周造の『偶然性の問題』における驚異と運命
  • 倫理的存在としての人間:進化論的アプローチ
  • エピクロス快楽主義の本質

平成14年度

  • レートリケーにおける真理探究への道:プラトンの思想をもとに
  • 生月島カクレキリシタンにおける神観の変遷
  • メルロ=ポンティにおける言葉の創造性
  • 「超人」と「大審問官」の自由
  • 宮崎駿の映画の世界
  • 人はなぜ戦うのか:『リヴァイアサン』における人間の自己中心性と他者との関係
  • 木村素衞『表現愛』における救いの概念について
  • 生命の倫理:木村敏の思想を手掛かりとした「自己」の考察
  • 生殖医療にゆるがされる家族のかたち

平成13年度

  • 芸術作品の等級付け
  • 生への探求:ショーペンハウアーの人間観を通じて
  • ニーチェにおける生の価値と超人
  • 独創性の所産:ミル『自由論』からの提言
  • 功利主義における幸福観について
  • ニーチェのキリスト教批判
  • キルケゴールにおける自己の構造の分析
  • 道徳的行為における感性の意義:F・C・ハチスンの道徳論
  • アリストテレス『詩学』におけるミュートス概念
  • オスカー・ベッカー『美のはかなさと芸術家の冒険性』における「被担性」概念
  • マーク・ロスコの作品が喚起する宗教性